2024/11/23 22:48
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2011/04/07 07:49
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Y氏は路上喫煙禁止地区で喫煙している男性を目にしました。 人目を気にすることもなく、傍若無人にタバコを吸い続ける男性の態度に腹を立てたY氏。大きな声で「おいお前、タバコを消せよ!」と注意をしました。すると男性は不機嫌そうにタバコを投げ捨てたのです。 不快な思いを消せないY氏は、友人にその経緯を伝えました。すると友人からは「Y君の主張は正しいけれど、その言い方だと相手が気を悪くするのも分かるよ」という言葉が返ってきたのです。 友人の率直な意見に対してY氏は、注意した時の自分の言動と表情を思い起こしました。顔は強ばり、態度が高圧的になった自分に気づかされました。 自分は正しいことを言っているという思いから、<相手を責める心が先行し、感情的になってしまった>と、Y氏は反省をしました。 「自分は正しい」は、時として「相手は間違っている」という責め心を呼びます。「正論」が相手を制する「制論」とならないよう、充分に留意したいものです。 <社団法人倫理研究所 「職場の教養」より> PR |
CATEGORY [ 職場の教養より掲載 ]
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