2024/11/24 08:22
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2011/04/07 07:39
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私たちは、人や出来事などとの様々な出会いを経て今の人生があります。社会学者のマルティン,ブーバー氏も「人生は出会いで決まる」と主張しています。 氏は、人と他者との出会いとは、「私」と「あなた」の関係であり、そこに信頼や尊敬が生じることだといいます。 確かに、自らの人生を振り返ると、両親との出会いから始まり、親族、学校、社会と、生活範囲の広がりに応じて、様々な出会いを重ねてきています。 私たちは、それらの出会いを、どのように活かしてきたでしょうか。出会いを生かすも無駄にするのも、心のあり方によって異なってきます。 明るく積極的な心で人に出会う時、その人によって磨かれ、成長していくものです。逆に、暗く消極的な心で接すれば、せっかくの出会いも、すれ違いに終わってしまうのです。 お世話になった人に感謝することはもちろん、これから出会う人との交流を通じて、自分を磨き、成長させていきたいものです。 <社団法人倫理研究所 「職場の教養」より> PR |
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2011/04/07 07:38
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「短気は損気」という諺があります。短気を戒めると共に、どのような時と場にあっても、充分な思慮分別を持つべきという教えです。 短気な人は一般的に「せっかち」な人です。物事を即座に判断し、迅速に処理する人として、周囲からプラスに見られる場合もあるでしょう。同時に、「自分のペースが絶対だ」と主張して、他者との協調が不足するケースもあります。 私たちは社会生活の中で、人と接触する機会が多くあります。むしろ、人との接触なくして人間生活はないと言ってもいいでしょう。その際に強く留意したいのは、私たち一人ひとりに自らのペースがあり、性格も違うということです。 人は時として、自分のペースを相手に押しつけ、思い通りにコントロールしたいという心が表に出てしまいます。 相手をコントロールするのは、相手のことを考えない我儘な心です。その我儘な心に反発して、相手から不平不満の心が返ってくるわけです。 押し付けや我儘な心を払拭し、相手を受け止める心を養いたいものです。 <社団法人倫理研究所 「職場の教養」より> |
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2011/04/07 07:37
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子供の一歳の誕生日に一升餅を背負わせて、お祝いをするという慣習が日本では伝統的に行なわれています。 餅の「一升」と人間の「一生」とをなぞらえ、<一生食べるのに困らないように>という願いをこめて、一歳まで無事に成長した我が子を祝うのです。 Sさんの家庭でも、まもなく息子が一歳の誕生日を迎えるため、この慣習に従い、我が子に一升餅を背負わせようと考えていました。 ある日、そのことをSさんの両親に伝えたところ、喜んで賛同してくれました。そして母親はアルバムを取り出し、一枚の写真を見せてくれました。そこにはSさんが、風呂敷に包んだ一升餅を背負っている姿が写っていたのです。 Sさんはその写真を見て、今まで自分がどれだけ両親から愛情を注がれながら育ってきたのかを、強く感じずにはいられませんでした。 この日の経験を境に、両親に対して恩返しの実践をしていこうと決意したSさん。同時に、父親、家庭人としての自覚も深まりつつあります。 <社団法人倫理研究所 「職場の教養」より> |
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